石子が初めて保育園に入った時は、本当に悲惨でしたわ。
今まで菌の少ない少ないおうちにいましたからね。
まあ病気のオンパレードでね。
もらう、もらう。
喘息があったので、風邪をもらったら、いつまでもしつこく咳が残る。
みんなが治っても、一人だけ咳が長引き、可哀そうでした。
しつこく残る咳で あんまり食べれないので、風邪をもらいやすくなると言うエンドレス。
病院通いはすべて私でした。
当時の職場で、これ以上休むなら考えてと言われるほどでした。
おばあちゃんに預けられるおうちなんか、夜何時間置きに起きないとで~、しんどいとか言ってたけど、それぐらいで抜かすなよって思ってましたね。
生後何ヵ月検診とか、おばあちゃんが抱っこして、ママは楽してるおうち、結構見ました。しんどそうな顔すんなって思ってました。(-。-)y-゜゜゜
私は家で日中は一人で見てました。一歳まで、片時も離れずにね。
美容院だけ行きたくて、一度旦那の休みに離れたけど、心配で心配で、ゆっくりせず、飛んで家に帰りました。
母乳は、手で絞って冷蔵庫に入れてましたので、ゆっくり買い物でもして帰ればいいのにね。w
旦那が帰宅後、沐浴とかしてくれました。
なので、二人で育てたと言う思いが、今もあります。
1歳までは家でみるっと決めていたので、自分の時間が欲しいとは思いましたが、虐待したろとか、そんな気持ちにはまったくならんかったね。
ある月なんか、4回違う風邪引いてさ。
「鼻水も止まってたのに、また今日から、ぐずってしんどそうなんです。」
小児科の先生「また違う風邪ですねえ。」
「またですか!!」(*_*)
特にお金で精神的にきつかったのは、1月~3月の保育料。
妊娠中も働けなかったのに、前々年度の給料で計算されるので、58000円もひと月払ってたんですよ!!
前年度の計算になってからの4月以降は安くなりましたけどね。
給与790円 εミ(ο_ _)οドテッ…
こんなん、皆さんあった事ある?
全員「あるかー。」
ほんとに、何のために働いてるか、わからんぐらい、高額の保育料払って、めちゃくちゃ精神的に辛かったねえ。
独身時代の貯金を切り崩して生活は出来てましたが、ひと月働けずで、保育園にも行ってないのに、保険料だけはしっかり取られ、こんなんなら、まだまだ働かないほうが良かったやんって思ってました。
けど、3歳で園に入れようが、何歳で入れようが、最初はしっかりもらいますよ。
よほど不衛生な家で育ててない限りは。w
「もっとええもんもらってきてくれー!!」っと言いながら、病気ばっかりもらってくるわが子の背中をトントンしては、寝かしつけたものでした。
みずぼ(水疱瘡)とかは、逆に移してくれー、移してくれーでしたがね。
小学校に入ってから、自分の子だけなって休むん嫌やもんね。
プール熱とか咳がハードな病気の時は、喘鳴が聞こえて、すぐ肺炎になり入院。
プール熱とインフルは大敵でした。
はてぶのお題が川柳なのね。
「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり」
おいおい!w
「働けど 豆腐生活 抜けられぬ」
子供の事は、すべて迅速でしたから、全力で子育てしたぞー!!って思っています。
給料前は豆腐が続きました。
ある日、いかな狭いので(とても狭い)っと、ネットでテーブルを買ったんです。
それまでは、小さい小さいテーブルで、片寄せあって3人で食べていたのです。
保育園児石子「うち、前のほうが良かった。」
そっか、前のほうが近かったもんね。
前の方が良かったと聞いた時、むしろ嬉しかったです。
当時、色々豆腐をアレンジして食べてたんですよ。
今でも二人は豆腐好きです。w
私は牛肉のほうがいいわ。w
本当のミレニアムベイビーは、2000年1月~3月生まれの事を言います。
2000年は外出もせず、家で赤ちゃんとずっと生活してましたし、
おぶって美容院には行けませんから、ほんと伸ばしてた訳ちゃうのに、伸び放題でした。
意外かもしれないけど、幼い石子が、小さいテーブルのほうが良かったと言ったように、必死で生きてたので、毎日がめちゃくちゃ楽しかったです♪ヽ(゚∀゚)ノ
今、石子は、なんか自分が頑張った事で、商品券もらったりしても、全部私に、「はい。」ってくれるんです。
「なんでーえ、どこででも使えるから自分で使いーな。」って言っても、「使わないから」って。
すっごい頑張ってるのを、子供はちゃんと見とるよ。
全部、親が見本。
親が口悪ければ、子供も口悪い。
子供を見たら親がわかる。これほんと。
最後に。
今、必死で子育てしてる方は、人に感謝出来る子に育てましょう。
なんでもかんでも与えたらいかんよ。
あなたのコピーが子供なのです。
大人がまず、ちゃんとした手本を見せないとね。(^_-)